生い立ち

北海道出身の父、長崎県出身の母の間に5人きょうだいの末っ子として誕生。

山育ちの両親に連れられて登山やキャンプをしたり、畑で犬と駆けまわったりしながら
ちいさな住宅街で野生的に育ちました。

我が家には独自のルールがあり、「食事中はテレビを消して正座。ゲームは禁止。炭酸ジュースは10歳から」と決められていました。
スナック菓子やチョコレートが食べたくても、与えられるのは果物やおからクッキーなどのヘルシーなものだけ。
おやつがないときは姉と一緒に家の屋根によじのぼり、自然に実っているみかんやグレープフルーツをもいで食べていました。

家庭内での衝突が多く、家族がバラバラになっていた時期もあり、10代前半は心を閉ざし気味になります。
高校時代から少しずつ行動範囲が広がり、さまざまなひとに出会い、その出会いによって救われました。

本について

読書が好きで、紙の本の匂いや手触りも好きです。

幼い頃は就寝前の読み聞かせが楽しみで、お風呂場でお気に入りの物語を暗唱し、お風呂上がりは布団にダッシュ。
自分で文字が読めるようになってからは家にある本をかたっぱしから読み、近所の図書館に通いつめ、
家族が寝静まったあとも宮沢賢治の童話集やさくらももこのエッセイを読んでは夜ふかしするような小学生でした。

学生時代は国語の教科書をもらえることが毎年の楽しみで、現代文も古文も漢文も好き。
ただし読書感想文は苦手で、原稿用紙の空白を、句読点だらけの文章で埋めていました。

今は書くことにも慣れたけれど、それでもやっぱり、読むことのほうが好きです。

指針にしている言葉は、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」。

旅と福祉

日本中をバイクで旅していた父と、手話や点字を習い、盲ろう者の通訳ボランティアをしていた母。
その影響か、気づけばわたしも両親と似たようなことをしています。

小学生の頃から外の世界にあこがれを抱き、19歳でハワイ大学の短期語学研修に参加。
その後、リゾートバイトで訪れた長野県大町市で、空と雲の美しさに魅了されました。

短大を卒業した2009年に、NGOピースボート主催の世界一周クルーズに乗船。
2012年にはバックパッカーでアジアをまわります。
目的は、イベントやボランティアで関わってきた施設を、自分の目で見に行くことでした。

約3ヶ月の期間で、インドにあるストリートチルドレンのためのアートスクールや、
バングラデシュの養護施設、カンボジアの小児病院などを訪問し、痛みと共に多くのことを教わりました。

ずっと連絡をとっていた子が結婚の報告をしてくれたり、数年越しに子どもたちと再会したり、
訪問した施設の10年後を改めて取材させてもらったり。
物理的な距離は離れていても、そんなふうに彼らの人生に触れられることが嬉しいなあと思います。

旅先でよく訪れるのは、自然豊かな里山、ユニークな取り組みをするお店や団体、美術館や博物館など。
社寺や史跡巡りなどの歴史に触れる旅も好きです。

フリーライターになるまで

2009年

世界一周クルーズに参加し、船内新聞の記事作成を経験。

2010年

名古屋のリラクゼーションサロンに勤務。
国際協力やまちづくりに関わるNGO、NPO団体でボランティア。

2011年

宮城県と福島県、和歌山県の被災地で清掃・施術ボランティア。

2012年

インド、バングラデシュ、タイ、カンボジアへ一人旅。

旅から帰国して数ヶ月の間は、アルバイトをしながら自分の経験を伝える方法を考えていました。

けれど、当時はとてつもなくアウトプットが苦手だったわたし。ほとんど形にできないまま時間だけが過ぎていきます。

お金を貯めてまた旅に出るのか、日本で社会経験を積むのか・・・。

もんもんと悩んだ末に選んだのは、伝える力を磨くために、コピーライターになることでした。
未経験でも採用してもらえたのは、最終面接で提出したインド旅行記のおかげ。
思わぬところで旅の経験が役に立ちました。

名古屋の制作会社で2年ほど働き、休養期間をはさんでWeb業界へ。
2015年からは日本と海外を行き来しながら、紙・Web媒体の企画、取材・撮影、執筆などをして経験を積みました。

2021年に愛知県へ戻り、現在は北名古屋市を拠点にフリーランスで活動しています。

自分らしい働きかた

わたしの20代は、お金を貯めては海外へ行くことの繰り返しでした。
転職回数は10回以上、短期アルバイトも含めると何回仕事を変えたかわからないほどです。
腰を据えて働くことを良しとする日本社会で、「続けられない自分」がコンプレックスでもありました。

まわりからは「一体何を目指しているの?」「すぐに辞めたらまともなキャリアにならないよ」と言われ、
自信をなくしたり、進む道を見失ったりすることもありました。
そして、みんなと同じようにできない自分を責めていました。

そんな悩みと葛藤のなかでひとつだけ確かだったのは
「世界中を飛びまわって、自分の目で見たことを伝えたい」という思いです。

その思いを叶えるために、自分なりに計画を立てて少しずつ目標に近づいていきました。
最初はうまくいかないことだらけで、壁にぶち当たり、職場のトイレや仕事の帰り道で涙する日々。
けれど、転職を繰り返すうちに「初心者でいること」にも慣れ、未経験の仕事に対するハードルが下がりました。
仕事を通じて助けられることや学ぶことも多く、素敵なご縁もたくさんいただきました。

振り返れば、これまでに経験したすべてのことが、今の自分の糧になっていると感じます。

会社員時代に比べると収入は不安定ですが、
発達でこぼこの子どもたちに関わったり、農業や植物について学んだり、取材旅行をしたりと、
好きなことをしている今がいちばん自分らしく生きられていると思っています。