わたしは、ちいさな頃から漠然と外の世界にあこがれていました。

小学生のときに読んでいた本やテレビで観た景色、そしてパキスタンの血を引く親戚がいることも、影響しているのかもしれません。

「いつか自分の目で見にいくんだ」。

そんな思いを抱きつづけて、19歳の頃から日本や海外のあちらこちらを旅するようになりました。

ひとつの場所を訪れると、いつも時間が足りなくなります。
魅力的な場所がたくさんあって、会いたいひとや行ってみたい場所が、次々と増えていくからです。

行く先で垣間見えるのは、出会うひとや物事の、ほんの一面。

たとえそこに住みつづけても、きっとすべてを知り尽くすことはできないのでしょう。

それは、人生と似ているようにも感じます。

誰かと出会い言葉を交わしても、その時間は一生のなかの、ほんの一瞬。

いくら時間をかさねても、そのひとをかんぺきに知ることはできません。

自分のことをかんぺきにわかってもらうことが難しいように。

人生を1冊の本とするなら、さまざまなひととの出会いは、1ページにも満たないのかもしれません。
けれども、その1ページ、たったの1行だとしても、そこにはかけがえのない意味が込められているのではないかと思うのです。

2012年3月、わたしはインドを縦断する列車に乗っていました。

ずいぶん前のことですが、車窓から見た景色を今でも鮮明に覚えています。
赤い大地に、岩肌がむき出しの山、まばらに生えるソテツの木。

まるで太古の時代にタイムスリップしたようで、恐竜が出てきそうな光景でした。

なんの肩書きもなく現地の言葉も知らないわたしが、今ここで飛びおりたら、生きていけるのだろうか。

想像しただけで、恐怖を感じました。

未知の世界に飛び込むのは、とても勇気のいることです。
けれど、よく考えてみると、わたしはたった1人でインドを旅している。

明日何が起こるかわからない、わたしの常識がまったく通用しない世界を。

旅の途中で助けてくれた現地の方や、旅人たちとの出会い、不思議なできごとを通して
自分の小ささ、支えられていることの大きさを、肌で感じるようになりました。

そして、それはインドに限らず、どんな場所にいても同じことなのだと気がつきました。

バングラデシュやフィリピン、カナダ、イギリス、故郷の日本…

ひろいひろい世界で出会ったちいさなお話を、これからゆっくり綴っていこうと思います。