「姉ちゃん、目薬貸してや」
事務所で仕事をしていると、大阪出身のおばあちゃんが扉の近くに立って、わたしに声をかけてくる。
「あのね、15時の点眼はさっきおわったんだよ。次は18時の夕飯のあとだよ」
「そんなに待てん。目がゴロゴロするから貸してや、そこらへんにあるやろ」
そう言いながら事務所に入ってくる。
「それは気になるよねえ。でも一応薬だからさ、そんなに何回もさしたらだめなんだよ」と言うと、
「ふーん・・・そーか、ならしゃあないな」
と、しぶしぶ納得した様子でリビングのほうへと歩いていく。
ほんの数分前にも、同じ会話をしたばかりだ。
今回はあっさりと引いてくれたけれど、聞いてもらえないときは
好きな歌手の映像をテレビで流したり、一緒に外の空気を吸いに行ったりする。
どうしても気になるときは、介護士さんに相談して、早めに点眼してもらうこともある。
入居者さんのなかには、何度も同じ話をくり返すひともいれば、ほとんど無口のひともいる。
数ヶ月経って、そのパターンがだいぶわかるようになってきた。
以前は、手が空いているときに配膳の手伝いや声かけをするくらいだったけれど、
今はときどきトイレの見守りや着替えの手伝いをさせてもらえるようにもなってきた。
花瓶の水を飲もうとするひとがいるから、室内に生花を飾れないこと。
米つぶが乾くと、皮膚にささる凶器に変わってしまうこと。
誤嚥を防ぐために、飲みものに「とろみ」をつけること・・・。
ほかにも、病気の治療方法や、補助器具の使い方などを教えてもらっては
「へえ〜〜〜」とひとりでつぶやいている。
この施設で、わたしだけが高齢者福祉の「ど素人」だ。
入居当初は無口だったひとが、少し経って「おはよう」や「おやすみ」を返してくれると、
心にぽっと花が咲いたみたいにうれしくなる。
放課後デイではたらいていたとき、発語のなかった子が、ぽつりと
「ありがと」
と言ってくれたときの感動と、ちょっと似ている。
大きくちがうのは、「人生の冬」に入ろうとしている人たちが相手ということだ。
職員さんとの会話でふいに出てくる「看取り」という言葉に、思わずはっとする。
今関わっているひとたちとも、いつかお別れするときが来るのか、と。
最近は、高木正勝さんの音楽をよく聴くようになった。
兵庫県の山奥に住む彼が、近所のおばあちゃんとつくった「しらいき」という歌が
とてもあたたかくて、なんだか懐かしい気持ちになる。
「昔は電気屋さんをやっていたんだけどね、夫がお人好しだったから
経営がうまくいかなくて、お店を閉めたの」と笑って話すおばあちゃん。
「これは長女、これは長男、これは・・・誰だったっけ」と言いながら
家族で食卓をかこんでいる写真を見せてくれたおばあちゃん。
「タイムスリップできたら、みんなの若い頃に行ってみたい」と、ベテランの介護士さんが言った。
名古屋の制作会社ではたらいていた頃、高校時代の友人と久しぶりにランチをした。
東桜パクチーというタイ料理屋でレッドカレーを頼み、近況を話していると、
彼女は相田みつをさんの「道」という詩を教えてくれた。
ふたりとも旅が好きで、くだらない話や海外の話をよくしていたけれど、
そのときはお互いが仕事に忙殺されるような日々だった。
タイ料理屋を選んだのも、少しでも日常から解放されたかったからかもしれない。
ー長い人生には、どんなに避けようとしても
どうしても通らなければならない道がある・・・
運ばれてきたカレーを前に、わたしはその詩を読んで泣いてしまった。
たぶん、それだけ張りつめていたんだろう。
今となっては懐かしい思い出だけれど。
施設でおばあちゃんたちの話を聞きながら、
みんなそれぞれに自分の道を歩いてきたんだなあと、思いを馳せる。
あいかわらず、刺激だらけの日々だ。