Stories

3月4日

お金を節約するために、初日に泊まっていた宿の半額以下の場所へ移った。

お湯は有料、トイレは汚い、ベッドは砂付き。でも、ごはんは美味しい。
それが唯一の救い。

宿の1階にある食堂のメニューには日本食があり、どうやら名物らしいオクラ丼を食べてみた。
出てきたどんぶりは量が多くて、最後まで食べきるのにとても苦労した。

ちなみに、インド人向けの食堂で出されるカレーは、だいたいどこもおかわり自由。
インドでは120円ほどでお腹いっぱいになれるのだ。

昼食後、インド門という慰霊碑を見に行こうと、地図を片手に宿を出た。
知らない場所を1人で歩くと、真っ白で新鮮で、子どもに戻ったみたいにわくわくした気持ちになる。
分かれ道で、近くにいた男性に道を聞いていると、少年たちが集まってきた。

「お金ちょうだい。100ルピーちょうだい」と、口々に言ってくる。

100ルピーは日本では150円くらいだけれど、

10ルピーで水や食べ物が買えるこの場所では、なかなかの大金だ。
しかも、少年たちはきれいな服を着ている。

断って足早に歩きだすと、しつこく言ってくるので怒ったふりをした。
すると、今度はわたしのストールを引っ張ってきた。

「ついてくるな!」

大声で言った。

少年たちは笑っていて、もう離れていたけれど、インドに来て初めて怖くなった。
初めてイライラした。

怒った自分に驚いた。

日本では、大声を出して怒ることなんて滅多にない。
こんなに感情がむき出しになったのは、すごく久しぶりだった。

3月6日

デリーの世界遺産、クトゥブ・ミナールを見に行った。

歴史的背景がわからないままだったので、看板に書かれた説明文を見てみたけれど、
わたしの英語力では1200年頃に建てられたことしかわからなかった。
写真を撮り、古びて崩れかけた壁を見て、すぐに街へ戻った。

デリーの観光地の中では、ジャマー・マスジッドというモスクが一番好きだった。

日が傾く頃にモスクの入り口までつづく長い階段をのぼると、
大通りからこちらへ歩いてくる人や、道の両脇に並ぶ屋台を見渡すことができる。

人々の喧噪や色とりどりのサリー、うすい青にピンクが混ざる大空と、飛んでいく鳥の群れ。
街角でうろうろしている動物たちをぼーっと眺めるのは、いつまで経っても飽きなかった。

宿の周辺まで戻り、メインストリートを歩いていると、突然うしろから水風船を投げつけられた。
びっくりして振り返ると、数人が笑いながらさっと逃げていく。
犯人は子どもたち。

もうすぐインドの一大イベントである、「ホーリー」というお祭りがあるのだ。
色粉や色水をかけ合うホーリーの前夜祭が、すでに子どもたちの間で始まっているようだった。

裏通りの靴屋のおじさんと顔見知りになった。
安くチャイを飲める場所を見つけた。
美味しいサモサ屋さんを教えてもらった。
インド独特のボディーアート、メヘンディをしてもらった。

いつの間にか、宿の居心地も良くなった。

でも、そんな頃に旅立ちの日はやってきてしまう。

次に向かうのは、タージマハルの街、アーグラ。