お金を節約するために、初日に泊まっていた宿の半額以下の場所へ移った。
お湯は有料、トイレは汚い、ベッドは砂付き。でも、ごはんは美味しい。
それが唯一の救い。
宿の1階にある食堂のメニューには日本食があり、どうやら名物らしいオクラ丼を食べてみた。
出てきたどんぶりは量が多くて、最後まで食べきるのにとても苦労した。
ちなみに、インド人向けの食堂で出されるカレーは、だいたいどこもおかわり自由。
インドでは120円ほどでお腹いっぱいになれるのだ。
昼食後、インド門という慰霊碑を見に行こうと、地図を片手に宿を出た。
知らない場所を1人で歩くと、真っ白で新鮮で、子どもに戻ったみたいにわくわくした気持ちになる。
分かれ道で、近くにいた男性に道を聞いていると、少年たちが集まってきた。
「お金ちょうだい。100ルピーちょうだい」と、口々に言ってくる。
100ルピーは日本では150円くらいだけれど、
10ルピーで水や食べ物が買えるこの場所では、なかなかの大金だ。
しかも、少年たちはきれいな服を着ている。
断って足早に歩きだすと、しつこく言ってくるので怒ったふりをした。
すると、今度はわたしのストールを引っ張ってきた。
「ついてくるな!」
大声で言った。
少年たちは笑っていて、もう離れていたけれど、インドに来て初めて怖くなった。
初めてイライラした。
怒った自分に驚いた。
日本では、大声を出して怒ることなんて滅多にない。
こんなに感情がむき出しになったのは、すごく久しぶりだった。
3月6日
デリーの世界遺産、クトゥブ・ミナールを見に行った。
歴史的背景がわからないままだったので、看板に書かれた説明文を見てみたけれど、
わたしの英語力では1200年頃に建てられたことしかわからなかった。
写真を撮り、古びて崩れかけた壁を見て、すぐに街へ戻った。
デリーの観光地の中では、ジャマー・マスジッドというモスクが一番好きだった。
日が傾く頃にモスクの入り口までつづく長い階段をのぼると、
大通りからこちらへ歩いてくる人や、道の両脇に並ぶ屋台を見渡すことができる。
人々の喧噪や色とりどりのサリー、うすい青にピンクが混ざる大空と、飛んでいく鳥の群れ。
街角でうろうろしている動物たちをぼーっと眺めるのは、いつまで経っても飽きなかった。
宿の周辺まで戻り、メインストリートを歩いていると、突然うしろから水風船を投げつけられた。
びっくりして振り返ると、数人が笑いながらさっと逃げていく。
犯人は子どもたち。
もうすぐインドの一大イベントである、「ホーリー」というお祭りがあるのだ。
色粉や色水をかけ合うホーリーの前夜祭が、すでに子どもたちの間で始まっているようだった。
裏通りの靴屋のおじさんと顔見知りになった。
安くチャイを飲める場所を見つけた。
美味しいサモサ屋さんを教えてもらった。
インド独特のボディーアート、メヘンディをしてもらった。
いつの間にか、宿の居心地も良くなった。
でも、そんな頃に旅立ちの日はやってきてしまう。
次に向かうのは、タージマハルの街、アーグラ。