短大時代の夏休み、わたしは長野の観光ホテルで住み込みのアルバイトをしていた。
1ヶ月間実家を離れるのは初めてで、
寮生活も、コンビニまで徒歩30分かかる道のりも、
毎晩のように流れ星が見られる空も、
何から何まで初めてのことばかりだった。
ホテルのレストランで配膳サービスをしていたわたしは
朝から晩までいそがしく働いていたけれど、
休みの日や仕事の空き時間にいそいそと出かけては
長野の自然を満喫していた。
一面に広がる田んぼと、どこまでも続く空が圧巻で
音楽を聴きながらカメラ片手におさんぽをするのが好きだった。
朝食のシフトを終えて、中抜けの時間にコンビニまで歩き、
アイスを買って食べながら帰ってくるのも楽しみのひとつ。
けれど、次第に往復1時間かけてコンビニへ行くのも億劫になってきたし、
自分の部屋にもアイスをストックしておきたい。
そう思ったわたしは、近くでアイスを売っているお店を探した。
寮の近くにある定食屋さんで、アイスの販売もしているのを見つけて
それからはそのお店によく通った。
そこは50代くらいのご夫婦が営んでいるお店で
ボブヘアに眼鏡をかけ、エプロン姿のやさしいお母さんと、
いつも少しヨレた半袖の肌着姿で、テレビを見ているお父さん。
20歳のわたしは、今よりもすこし派手な格好をしていて、
バイト先のおばさま方と馴染むまでに時間がかかったのだけど
ふたりは最初から何も気にせず接してくれた。
「うちにも、あんたと同じくらいの娘がいるんだ」と、
遠方に住む娘さんの話を聞かせてくれたり
蜂の子せんべいやチョコバナナアイスをおまけしてくれたりしていた。
その定食屋さんを見つけたきっかけは、お店の外につながれていた犬のコロちゃんだった。
わんわんと吠えている姿を見て、「さんぽに行きたいのかな」と思い
お店の扉をガラガラと開けて「おさんぽに連れて行ってもいいですか」と声をかけたのだった。
コロちゃんとのおさんぽタイムも、
定食屋のご夫婦とのおしゃべりも、
長野でのアルバイト生活でわたしに癒しを与えてくれていた。
もうずいぶん前のことをなぜこうして思い出したのかというと、
わたしはついに、あの流行り病にかかってしまったからなのだ。
前回、風邪について書いた直後のタイミングで。
今はマッサージのほかにお花屋さんでも働いていて
風邪の症状が出たときに「検査結果が出るまでおやすみで」と言われていた。
「まあ、念のため検査はするけど、ふつうの風邪でしょう」と気楽に構えていた。
だから検査結果がでたときは、少なからずショックを受けた。
ついに、わたしも陽性者になったのか、、と。
喉が焼けるような痛み。
それから発熱。
今はピークを過ぎて、症状はかなり楽になってきた。
そういえば、今年の1月まで引いていた風邪も同じような喉の痛みがあったな、、
あのときは年末年始がピークだったから
ほぼ誰にも会わずにひとりで寝ていたけれど。
その話を従姉妹にしたら、
「それ、最初のがデルタ株で、今回のがオミクロン株なんじゃない」
「安果、コロナに2回かかったひとだよ」と言われた。
・・・そうか。
今なら認められる。
あれはコロナだったんだ。
あれほどのガラガラ声も異常な長引きかたも、ふつうの風邪ではなかったもの。
たぶん、これくらいのことがないと、
超繁忙期の花屋を堂々と休むことはできなかっただろう。
お店にはほんとうに申し訳ないと思っているけれど、
両親も従姉妹も「休む時間をもらえてよかったね」と言ってくれた。
そして、今回の療養期間は
積ん読になっていたミヒャエル・エンデの「エンデの遺言」を読んでいる。
昨年、「お金」という概念についてじっくり考えていた時期があって
だからこそ、お金というシステムに対するエンデの考察がびしびしと響いてくる。
読み終えたら、また考えをまとめて記事にしたいと思う。
話は戻って・・・
長野での住み込みバイトから数年後、お客さんとしてレストランを利用しに行ったことがある。
まわりの雰囲気もレストランもあまり変わっていなかったけれど、
あの定食屋さんはおやすみだったようで、残念ながら中の様子はわからなかった。
コロちゃんも見当たらなかった。
もう、コロちゃんには会えないかもしれない。
でも、もう一度あの定食屋さんには行ってみたいと思う。
「このへんは何もないんだけど、秋になると田んぼが稲穂でいっぱいになって
夕暮れ時は一面が金色に光るんだよ」
住み込みバイトも残りわずかになったとき、
地元出身のバイト仲間の男の子が教えてくれた。
その景色も、いつか見てみたいと思う。
有名な観光スポットではなく、そこで暮らすひとの目に映る美しさを。
あの頃お世話になった一人ひとりと再会することはできなくても
こうして思い出すだけで、すこしあたたかい気持ちになる。
それぞれの場所で変化しながら、
変わらないことは変わらないまま
みんなが健やかに過ごしてくれていたらいいと思う。