アーグラでホーリーを迎える。
この日は、カースト制度関係なくお祝いできる日。
町中が、色粉や色水でカラフルになる。
道路、壁、いぬ、牛、大人も子どもも、物乞いもお金持ちも。
ガンジス河のあるバラナシでは、興奮したインド人たちが暴走するらしく危ないと聞いていたけれど、
ここアーグラのホーリーは、なんとも平和なものだった。
とは言っても、顔面に赤や銅、黄色の粉を塗りたくられ、かばんもTシャツも見事にカラフルに仕上がった。
そのままの姿でタージゲストハウスという宿へ行き、ここで結婚したという日本人の女性を訪ねた。
女性の名前はサトリさん。
わたしが訪ねたときは、ちょうどシャワーで色粉を落とし終わったところのようだった。
サトリさんの話はおもしろい。
現地に「住む」という視点から見るこの街は、とても退屈なようだ。
「タージマハルのある街」で有名なアーグラ。裏を返せば、「タージマハルしかない街」だと言う。
街の人の日常や価値観、ご近所付き合い、結婚式の様子、インド家庭のルール、
一日の流れ、宗教のことなど、さまざまな話を聞かせてくれた。
「この街に生まれた女の人は、ずっと家族と過ごしてきて、好きなことはできない。
好きな仕事に就く人もほとんどいない。
買い物や誰かに会うために外出するのも、家族や旦那さんと一緒だからね。
女の人が1人で出歩くなんてありえないし、ここではいまだに家族が結婚を決めるのがふつうだよ」。
東京で居酒屋をひらいたサトリさんにとって、この日常はとても閉鎖的に見えてしまうという。
けれど、嫁ぎ先の家族はある程度理解してくれ、彼女を自由にしてくれているようだ。
サトリさんはからっとしていて、自分の考えをはっきりと言う。
親しみやすいけれど、繊細なところもある素敵な女性だった。
まだ、わたしはインドに滞在して1週間くらい。
ぼんやりとこの国の輪郭が見えてきた頃にサトリさんの話を聞いて、さらに興味が湧いてきた。
3月9日
熱が出る。下痢と嘔吐で体がだるい。食欲もない。
以前泊まっていた宿は蚊が多く、毎晩寝るときは扇風機を最強モードで回していた。
それが原因なのか、日が差しているのに寒気がする。
毛布を余分にもらってマフラーやストールをぐるぐる巻きにして、水を飲んで一日中横になった。
1人でずっと部屋にいるのは心細かった。
そんなとき、宿のスタッフやサトリさんが心配してくれた。
日本からも何通かメールが来て、ずいぶんと救われた。
「帰れる場所がある」と思うとありがたかったし、安心できた。
だからこそ遠くへ行くことができるんだなと、朦朧とする意識の中で、
心だけはじんわりと温かく感じた。
3月10日
「顔色、良くなったね」。差し入れを持ってきてくれたサトリさんが言った。
宿のインド人スタッフからの差し入れは、カレー味のスナックだったけれど、
それも美味しく食べることができた。きっと、疲れも出ていたんだろう。
アーグラ最終日なので、観光へ。
この街に着いたとき、路上からもレストランの屋上からも見えていた。
遠くからでもすぐにわかるほど、圧倒的な存在感を放つタージマハル。
昔の皇帝が、亡くなった王妃のために、国のほぼ全財産を投じて建てたお墓だという。
チケットを買ってゲートでの持ち物検査を終え、長い列の後ろに並んだ。
近づくにつれて、期待感が増してくる。
ゆるやかなカーブの壁伝いに、ゆっくりと奥へ進んでいく。
「もうすぐ、中へ入れる」。
小さな門をくぐった。
そこには、息を呑むほどに壮大で真っ白な、左右対称のタージマハルが建っていた。
すぐ目の前にあるのに、まだテレビを観ているようだった。何度も写真で見たことのある光景。
それでも、自分の目で間近に見る美しさは、迫力も加わって、写真やテレビとは全く違う感動があった。
日差しは強いけれど、総大理石でできた床はひんやりと冷たい。
タージマハルの内側に入ると、お妃を亡くした皇帝の悲しみを刻んでいるかのように
暗く、冷たい空気が漂っていた。