夜中にアーグラを出発し、地元の人たちに混ざって寝台列車に乗り込んだ。
窓からゴミを捨てていくインド人と相席。
通り過ぎていく景色を見ながら、頭の中もいろいろな考えが浮かんでは消えていく。
長いこと列車に揺られて到着したのは、聖地、バラナシ。
ガンジス河のあるこの街は、他の観光地とは少し違う空気がある。
レストランや学校、土産物屋もあるけれど、「河」が中心的な存在だ。
街から河に向かって歩いていくと、長い階段がある。
その階段を降りると、ガートと呼ばれる岸が広がっていて
そこで洗濯や歯磨きをする人がいたり、プージャという神聖な礼拝儀式がおこなわれたりする。
ガートはエリアごとに名前がつけられており、
「マニカルニカー・ガート」と呼ばれる場所では、火葬をおこなう。
そしてその灰は、河へ還す。
これは、ヒンドゥー教徒が、旅立っていく者に最大の敬意を示す方法だそうだ。
ガートには、家族のほかに地元の人や観光客も集まり、階段に座って火葬の様子を眺めている。
周りには、観光客から見学料や薪代、ガイド代を請求しようとする者、
チャイ売り、クリケットをして遊ぶ子どもたち。
そして、いつも以上に、あちこちに牛がいる。
バラナシは特に牛が多く、細く入り組んだ路地で牛と鉢合わせすると、仕方なく道を譲り、
通り過ぎるのを待っていなくてはならない。
路地には、小さな服屋やカフェ、雑貨屋などがでこぼこの道なりに並び、
日本語を話すインド人も多く、よく声をかけられた。
ふらりと出歩くだけでも、この路地に来れば退屈はしなかった。
3月15日
日が傾きはじめる頃に、寺院を見に行った。
客引きをしていたおじさんと交渉をして、サイクルリクシャーに乗せてもらう。
英語が通じず、こちらもヒンディー語がわからないので、身振り手振りでコミュニケーション。
おじさんの足は細いけれど、力強くペダルをこいで進んでいく。
途中、「道を間違えてる」と何度言っても通じないので、通行人に通訳してもらった。
なんとか到着して、寺院をひとまわり見て出てくると、すでにあたりは暗くなっていた。
「近くにあるカフェへ行きたい」と説明するけれど、おじさんにはやっぱり通じない。
通行人を呼び止めては通訳してもらい、ようやくたどり着く。
そして、お金を支払うとまた、何かを早口で言っている。
乗せてもらうときに50ルピーで交渉したと思っていたので、
カフェまでの距離を考え、少し足して渡そうとした。でも、受け取らない。
金額が足りないのか、多いのか、何が不満なのかわからず困っていると、
それを見て、周りにいた人たちが集まってくる。
ヒンディー語が飛び交い、それぞれ言うことがちぐはぐで理解できない。
結局、「あのカフェに英語を話す人がいるから、呼びにいけば良い」ということになったらしく、
おじさんはカフェの方へと歩いて行った。しかし、入り口の前で立ち止まり、
躊躇するような素振りで、ガラス越しにお店の中をキョロキョロと見ている。
そのカフェは、ガイドブックで紹介されている、とても綺麗なカフェだった。
おそらく、観光客やインドの富裕層向けで、バラナシの通りでは浮いていた。
おじさんは「こんな店には近づいたこともない」とでも言うように
恐る恐るドアに手をかけ、そっと中をのぞき込む。
急に、さっきまですぐ目の前にあったおじさんの背中が、ものすごく遠くなったように感じた。
言葉が通じなくて困っていた時ですら、感じなかった距離を感じた。
大衆向けの食堂で、チャイは3〜5ルピー。ジュースも15ルピーくらいで飲める。
けれど、このお店では、1杯のジュースの値段が85ルピーだった。
彼と私の、この差は何なんだろう。
店員に通訳してもらうと、「代金を100ルピーにしてくれ」ということだった。
もう交渉する気にもなれず、お金を渡して店へ入った。
彼は笑顔になったけれど、わたしはずっと、もやもやしていた。
100ルピーは、日本円にして150円ほど。そのお金の価値は、彼と私ではどれだけ違うんだろう。
お店を恐る恐るのぞく彼の姿が忘れられなかった。
日本では河で体を洗わないし、道ばたに牛も猿もヤギもリスもいない。
だから何なんだろう。一体何が「ふつう」なんだろう。
全く違う習慣や景色を写真に撮って喜んで、それで終わりでいいんだろうか。
ぼんやりと、そんなことを考えていた。