我が家にはテレビがないので、そのかわりにいつも音楽をかけている。
季節や気分に合わせてプレイリストを作っていて、それを振り返るのもおもしろい。
今年は、秋ごろまでHaruka Nakamuraさんを中心に、アンビエント音楽をよく聴いていた。
Harukaさんの音楽を知ったのは、ちょうど1年前の冬。
今池の美術館に行ったあと、ひさしぶりに入った珈琲屋さんで流れてきて
最初のイントロで「はっ」として、誰の曲かスマホで調べようとしたけれど、
もたもたしているうちに終わってしまった。
誰の曲なのか気になったまま年末を迎えて、わたしは風邪を引いた。
ここ数年間はめったに体調を崩すことがなかったから
治りがけに油断しておさんぽに出かけてしまい、ずいぶんと長引いてしまった。
年が明けてもベッドの中。
ひとりで熱にうなされながら除夜の鐘を聞いて、2022年は一体どうなるんだろうかと考えていた。
職場に連絡をして、数日間おやすみをもらい、回復までに2週間以上もかかってしまった。
風邪を引いていると、しんどい反面、いいこともある。
社会の中で置いてけぼりにされたような気持ちになって、窓の外を眺めては
天気に一喜一憂できていたありがたさをかみしめたり
ずっと手つかずだった本をゆっくり読むことができたり
ときどき不安になって「風邪 意味」というキーワードで検索して、
たまには風邪を引いたほうが、体の悪いものを殺菌してくれるからいいんだ、と勝手に納得したり。
いつものように音楽をかけて本を読んでいると、おすすめの曲で、聴いたことのあるイントロが流れてきた。
まさに、ずっと気になっていたあの曲。
「これだー!」と嬉しくなってすぐに調べたら、Harukaさんの「Arne」という曲だった。
それからずーっとずーっと、毎日朝から晩まで聴いていた。
Harukaさんの音楽は、ベッドの中でひとり取り残された時間に、静かに寄り添ってくれているようだった。
それから数ヶ月経ち、5月に広島の美術館で開催されていた「グランマ・モーゼス展」へ行った。
美術展のあとに滞在していた尾道で、なんと、Harukaさんにつながっている素敵なひとたちとの出会いをいただいた。
(広島の旅については、また別の記事で書きたいと思う。)
そんな流れもあって、今年のプレイリストは歌詞のない曲がほとんどだったのだけど、
ここ最近になって、日本語の歌をよく聴くようになった。
Spotifyでおすすめに出てきた浮(ぶい)さん。
それから、工藤祐次郎さん。
浮さんは声と歌い方に独特な魅力があって、すぐに引き込まれた。
工藤祐次郎さんの音楽は、「ゴーゴー魚釣り」を聴いて好きになった。
くすっと笑えて、ちょっと切なさもあるような。どこか懐かしいような。
「団地の恐竜」という曲を、仕事の帰り道によく聴いている。
仕事を終えてお店の電気を消して、ピンと張りつめた空気の中、
星を眺めながら帰るときにぴったりだから。
音楽のジャンルはよくわからないけど、ふたりの音楽は
言葉にならないような、ささやかな日々の愛おしさを感じさせてくれるなあと思う。
20代半ばのころ、高田渡さんの曲をいくつか教えてもらったことがある。
そのなかで「値上げ」という歌の、風刺のきいた歌詞が印象的だった。
最近になって他の曲も聴いてみたら、時代を越えて本質を歌っているひとなんだとわかった。
「当世平和節」 「生活の柄」 「鉱夫の祈り」
どれもメッセージ性があるけれど、すごくシンプル。
明るい曲調だったり、穏やかな子守唄のようだったり
ときにはユーモアを交えて、どうしようもない現実を淡々と歌っている。
そこで生きているひとの目線で。
「生活の柄」は、山之口貘さんという沖縄出身の詩人の詩に、高田渡さんが曲をつけたのだそう。
山之口貘さんは、放浪生活を経験し、結婚後に本格的に創作活動をはじめ、
極貧生活のなかで意志を貫いた方。
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ウチナーグチマディン ムル
イクサニ サッタルバスイ
沖縄の言葉までもすべて
戦争でやられたのか
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これは、「弾を浴びた島」という詩の中にある一節。
わたしは今年の夏に沖縄の鳩間島を訪れて、
沖縄の言葉がどんどん崩れていることを、島のおじいに聞かせてもらった。
それから、竹富島で立ち寄ったカフェの店主に、沖縄の歴史や文化をすこし教えてもらった。

まだまだ知らないことがたくさんあって、知らないうちに変わりつづけていることがある。
最近好きな音楽は、わたしがこれからやりたいことや、目指している生き方の道しるべになっているような気もする。
今のわたしの暮らしはというと、あいかわらず葛藤ばかり。
だけど、近所のスーパーで330円で買った切花たちが
1ヶ月以上も咲いてくれている。
そこで咲いている姿に励まされる。
だんだん萎れて色も変わってきたけれど、もうすこしだけ飾っておこうと思う。
